吉田茂<オッパイ・シリーズ>をめぐって
佐藤友哉

吉田茂の近年の作品の大きな変化は、この作家のこれまでの作品を知る者にとってちょっとした事件といえるものだった。これまでの特殊な粘土を使ったレリーフ状の作品に、突然たくさんのオッパイが出現したからである。オッパイだけではない。なんとそのオッパイたちに蜘蛛や蛙、テントウムシなどが描かれるようになったのだ。また色彩も原色が用いられ、ポップ調の華やかさが加わる。見るものはおそらく大いに驚くとともに、そのアッケラカンとしたエロティシズムに思わず笑みを漏らすにちがいない。

<オッパイ・シリーズ>と名付けられたこれらの近作は2014年に始まる。最初は具象的に、つまり一対の乳房のオブジェとして制作され、ときにそれが野外に展示される巨大オブジェとなったりする。しかしそれ以降はレリーフとして展開されるのだが、驚くことにここではオッパイそのものが独立し、細胞分裂するかのように増殖をくり返すようになるのだ。

これらのオッパイを支えるのは、これまでと同様に、特殊な粘土とその上にほどこされたペイントが織りなすヒビ割れたレリーフ状の支持体である。かつてはこれらのヒビワレは、地球規模の大地のエネルギーを象徴するかのようなある種無骨な表情を見せていた。しかしそこに突然オッパイが出現して増殖をくり返すようになったのだ。オッパイたちは整然と並んだり、あるいはランダムに浮遊したりしているが、あたかもそれは、旧石器時代の豊穣を願う地母神が大地のエネルギーを一杯に充填しながら地表を突き破って出現したかのような風景なのだ。

旧石器時代の地母神は広くヴィーナスと呼ばれており、よく知られているように乳房やお尻が異常に強調されている。とすれば吉田茂のオッパイもまさに豊穣や豊かな生命を象徴する“ヴィーナスのオッパイ”といえるものだろう。その出現を祝うかのように、この時点で赤いヒビワレがオッパイを中心に広がるようになり、色彩もまたピンクや金色、銀色へと鮮やかに変化するのだ。

オッパイに昆虫などが描かれるようになったのは昨年の2017年からである。最初は髑髏や蝙蝠などがシルエットのように描かれることもあった。しかしジョロウグモを登場させるに至って、昆虫たちはかなり写実的に描かれるようになる。そして、蛙、ヤモリ、ナナホシテントウムシなどが次々と描かれるようになるのだが、それらはいわばそれぞれの基調色ともいえる色彩を与えられており、ジョロウグモには黄色、蛙には緑、ナナホシテントウムシにはピンク、ヤモリにはオレンジといったこれまでにない豊穣で、時には刺激的な色彩による下地が用いられている。それに加えて全面に金や銀のドットが砂子のように蒔かれており、華麗でポップな世界が一挙に花開いたかのような明るさが加わっているのだ。

こうした写実的で精緻に描かれたオッパイの上に描かれた生物を見ていると、面白いことにこれらの生物に注ぐ吉田のまなざしが、江戸時代中期に活躍し、現在一大ブームを日本で巻き起こしている画家、伊藤若冲のものと共通しているのではないか、と思われてくるから不思議である。

若冲の代表作に<動植綵絵(どうしょくさいえ)>というシリーズがある。全30幅にも及ぶこの作品には動植物をはじめ、生きとし生けるものが網羅されている。とくにそのなかの一点、<池辺群虫図>には蟻、蜘蛛、蝶、オタマジャクシ、蛙、毛虫、蛇などなど、なんと60種類もの昆虫や両生類、爬虫類が精密に描かれているのだ。捕食するもの、あるいは捕食されるもの、これらが平等に描かれており、若冲がすべての生命に対して深い愛情を注いでいるということが示されているという。おそらくこの点こそが、吉田茂と若冲を結ぶものなのではないだろうか。

オッパイの生物たちはオッパイを守護しているようにも見える。またオッパイから強い生命の力を注入されていると見ることもできるだろう。いずれにせよ豊穣と生命を象徴する“ヴィーナスのオッパイ”と共生関係にあるということにちがいない。そしてそれは、まさに自然と人間の関係をも透視することなのではないか。

2011年の東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故。これがその後の<オッパイ・シリーズ>の契機となったのだという。それは吉田茂にとって普遍的で原初的な生命への希求だったのかもしれない。またその生命がこれからも時空を超えて受け継がれていくことの祈りにつながったのかもしれない。いずれにせよ大地の生命とすべての生物の共生関係を改めて問い直し、そこに往還する豊かな生命の力を現代的なポップ感覚のなかで覚醒させること。それこそが<オッパイ・シリーズ>の重要なメッセージなのである。

札幌芸術の森美術館長

吉田茂作品データ

1.蜘蛛の砦180×180cm特殊粘土、アクリル絵の具、他
2.おっぱいは蜜の味180×180cm特殊粘土、アクリル絵の具、他
3.バットウーマン80×80cm特殊粘土、アクリル絵の具、他
4.ヤモリの夢80×80cm特殊粘土、アクリル絵の具、他
5.幸せなカエル80×80cm特殊粘土、アクリル絵の具、他
6.Begin the Beguine-125×25cm特殊粘土、アクリル絵の具、他
7.Begin the Beguine-225×25cm特殊粘土、アクリル絵の具、他
8.Begin the Beguine-330×30cm特殊粘土、アクリル絵の具、他
9.Begin the Beguine-420×40cm特殊粘土、アクリル絵の具、他

会期:2019年1月18日(金)~2月7日(木) 13時~19時
休廊日:日曜日・月曜日
オープニング・レセプション:1月18日(金)18時~20時
作家在廊日:1月18日・19日・25日・26日、 2月1日・2日

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